2015年07月27日更新
嵐メンバー家族のほっこりエピソードまとめ
大人気アイドルグループ嵐。それぞれの個性が光り、グループ全体の人気に繋がっています。各メンバーのそれぞれの魅力、そのルーツが家族とのエピソードから垣間見えるのではないでしょうか。
大野 智くん
洗練された歌唱力とダンス、ジャニーズ初の個展の開催など。独創的な感性を持ち、多彩な才能を発揮する大野くん。そんな彼が過ごしてきた環境とは・・?
●名前の由来
岸田智史(きしださとし)さんがドラマで誠実そうな役を演じていたので、 そんなふうに育って欲しくて、つけました。
お母様が好きだったアイドル、岸田智史さんから貰いました。
ちなみに女の子なら「サトミ」が候補だったようです。
●やんちゃな少年時代
自転車の後輪に足を挟まれたり、水ようかんの蓋を握って5針縫ったり、車が来て注意されているのに渡ったり。とてもやんちゃで、好奇心旺盛な子だったようです。
そんな大野くんの性格を見抜いたご両親は・・。
「小さい頃は遊べって。成績が悪くても怒られないし、殴られたこともなくて、本当に自由に育ててもらった。(中略)今思えば、おおらかな性格になれたのは親のおかげかなって」
「自分のやりたいことをやりなさい」という方針で育てたようです。
子供の頃から、読書感想文を手伝ったり、左利きだった大野を右利きに矯正したり、大野のひどい成績に大爆笑して励ましたりと大野を見守ってきたお母さん。
それでも放任主義ではなく、愛情たっぷりに大野くんを見守ってきたことがわかります。
お父様とのエピソードも。
子供の頃にはよく社員と家族を一緒にバーベキューに連れていってくれたらしい。
「父ちゃんと父ちゃんの会社の人たちと一緒に秋川渓谷にバーベキューに行ってきた。そしたら大雨だよ。」
他に釣りも一緒によく行っていたとのことで、大野くんの釣り好きはお父様の影響のようです。
●ジャニーズ入所後
ジャニーズ入りはお母様が内緒で履歴書を送り、「ダメ元でやってみなさい」と背中を押したことがきっかけでした。
メンバーの松本潤が主演した「バンビーノ」や出世作の「ごくせん」は全て見て、大野に「よかったからよろしく言っといて」と伝言したそうだ。
なぜか松潤の作品鑑賞するお母様。
大野くんとの信頼関係がしっかり出来ているからこその、エピソードですね。
「僕も10時頃帰ったら父ちゃんが(鼻をすすって泣き真似する仕草)で、どうしたの?って聞いたら、魔王でって(笑)」
と、大野が告白している。
息子の出演作は全て見ているそうで、(ARASHI AROUND ASIA Thailand-Taiwan-Korea)まで3枚とも見ているうえに、嵐の宿題くんも全てチェックしているそう。
メンバーの櫻井がコンサート会場で見かけたこともあるようで、
「前に翔くん言ってたでしょ?(コンサート客席にいる大野さんのお父さんが)サングラスかけてる人見つけたって。」
と大野も認めていた。
お父様は大野くんの一番のファンなのかもしれませんね。
●家族との絆
お正月には毎年、家族が集まってビンゴ大会を開催したりと、友達やメンバーの誘いより家族との時間を大切にしているのだ。
あるインタビューでは「地震が起こったら、何を持って逃げる?」という質問をされ、「母ちゃん」と即答したこともある。
大野の父は、「鍵のかかった部屋」に登場したフトアゴヒゲトカゲを自宅で「トカゲ」と呼んで世話してくれているという。
お姉さんに車も買ってあげたことがあるらしい。
お姉さんも、大野に「バッグが汚いから」と今人気の仕事用手提げバックを「智これ使いな」と買ってきてくれたという。
家族同士が大事に思い合っているエピソードの数々です。
国民的アイドルグループを引っ張るリーダーとしての器は、この中で育まれたのでしょう。
●リンク
櫻井 翔くん
音楽番組の司会、ニュースキャスター等でも活躍。頭脳明晰で高い好感度を誇る櫻井くん。超インテリ一家でのエピソードとは・・?
●名前の由来
母親が作家の「柴田翔」に傾倒していたので付けました。 羊に羽がついてるという意外性がなんともロマンチックで、 想像上の馬に羽がはえている「ペガサス」のようであり、 より柔らかい優しさを感じていました。
芥川賞を受賞した作家さんです。
●勝ち気で賢い少年時代
小学校入学前、渋谷で喧嘩をして本人を置いて行きました。 (私は)バスに乗車し、バスがそのまま発車しました。 しばらくして六本木通りを一人で歩く5歳児が目にとまり、 心配して窓越しに見ると、泣いているどころかこちらにガンを付けて歩いていました。 このころから自分で判断し行動するタイプでした。
お母様談。
勝ち気で勇気ある少年だったようです。
幼少期から賢さの片鱗をのぞかせていた櫻井くん。エリート一家での教育方針は・・・。
両親からは厳しく育てられ、習い事は3歳から小学4年生までエレクトーン、その後はピアノ。他にも水泳、習字、油絵、剣道、ボーイスカウト、サッカー…
多岐にわたるお稽古事。櫻井くんの幅広い知識と教養は、ここから身についていったのかもしれません。
教養だけでなく、イベントでも熱心でした。
保育園での下田の海での日焼け大会にて。
夏休みの間。 もう、俺はそれに優勝したいし。櫻井家もそこに総力をあげているから。 5歳児にサンオイルを塗りまくった
意外な一面です。
意外といえば、こんなエピソードも。
母親はあまり料理が得意でなはないものの、学校には“パンチの効いたお弁当”を持たせてくれたという。
例えば「納豆ご飯」、そして「ポットと白米とレトルトカレー」…ポットのお湯でレトルトカレーを温めて、それを弁当箱に入った白いご飯の上に自分でかけて食べるというものだ。
●ジャニーズ入所後
ジャニーズ入りは、13歳の時、本人が両親に内緒で履歴書を送ったことがきっかけでした。
郵便受けに1通の茶封筒を発見したときには、青天の霹靂でした。 自分で応募したと聞き、その道を閉ざすより、 その道を整備し、好きな道へ進むことをサポートすることが 親の勤めと思い、常に心配しながら見守って来ました
お母様談。
エリート街道ではない、櫻井くんが選んだ道に、単に驚いたというだけではない複雑な感情があったのかもしれません。
●嵐デビュー後
母は一番に喜んでくれて、父には厳しい言葉をもらいました。
これからが本当の勝負であり、気を抜くと仕事が無くなったりするよ。
嵐結成時のご両親の反応です。
22、3でソロのコンサートをやったときがあって、リビングで2人になったとき『週末コンサートあるから来てくれないか』ってはじめて言ったんです。そしたら『じゃあ行ってみるか』って。
お父様が、櫻井くんの仕事を認めてくれた時のエピソードです。
これ以降コンサートに来てくれているそうです。
櫻井弟のクラスが合唱祭で「アオゾラペダル」を歌う事になったそうです。
その日、報告された櫻井家は家族会議が行われ「何も出来ないけど、みんなにシングルを送ろう」という話になりました。
これは櫻井くんが1時限目に弟のクラスに行き、届けたそうです。
●家族との絆
僕にとって家族というのは心から好きといえる存在。
子供の頃から厳しかった父と母ですが、その裏側にはいつも愛情がありました。
今でも芸能界で一番のファンは僕だって(笑)
櫻井くんの意思を尊重し、時に厳しく、そして優しく見守ってくれたご両親。そのおかげで今の櫻井くんがあるのでしょう。
父の頑張る姿を背中から見て、いつも勇気をもらっていました。
文武両道で頑張っていた妹にも刺激を受けて、よし嵐でやってやろうって。
●リンク
松本 潤くん
「花より男子」「失恋ショコラティエ」等、その端麗な容姿から恋愛ドラマで活躍。数多くの女性を虜にしてきた松潤の家族とのエピソードは・・?
●名前の由来
潤には恵みを受けるうるおい(潤い)のある人、 また人に潤いを与える人であって欲しいという思いを込めて名づけました
もともとはお祖母様が考えていた「純」の予定でしたが、小さい頃漢字が書きづらいのでは、とお母様が命名したそうです。
●器用で優秀な少年時代
小学生の通知表では、ABC評価でCは1つもない。歌も楽器もでき、卓球クラブに所属していたようです。すべてに万能な様子が窺えます。
従兄弟の影響もあり4~5歳の頃からウォークマンに好きな音楽を入れてもらい、聞いていました。
嵐として活躍していく基盤になったのかもしれません。
肌が弱く蚊に刺されたりすると化膿し発熱することもあったので、 外遊びや野球の場所などは「小型超音波虫除け」を持たせていました
万能な松潤にも弱点があったようです。お母様の思いやりが窺えます。
●ジャニーズ入所後
お姉様がKinKi Kidsのファンで、ライブビデオを見て、影響を受けた本人が履歴書を送ったことがきっかけです。オーディションは受けず、直接ジャニーさんからの電話で入所が決定したそうです。
Jr,に入ってからは姉は友達を家によばなくなった。当時高校生の姉はかなり気を使ってくれていた。
お姉様の優しさが伝わるエピソードです。はなまるカフェ出演時の本人談。
2歳上のお姉様が、潤君のことをマツジュンと呼ぶ
1人のファンとしても、松潤を大事に思っているのでしょう。
潤君のお母様がいわく、潤君のラブストーリーは、見飽きたらしいです。
かと行ってニノのラブストーリーは、見るのが恥ずかしいけれど…見たいのだそうです。
松潤の作品を沢山ご覧になっている証拠ですね。
●家族との絆
両親の都合が合ったので、一緒に温泉に行って(お金は潤君持ち)川の字で寝た
家族との仲が良いことがよくわかる、ほほえましいエピソードです。
家族とのエピソードはあまり表に出さない松潤。家族を守るためという強い意志の表れであり、家族をとても大事に思っている、これも1つの形なのではないかと思います。
●リンク
二宮 和也くん
事務所初のハリウッドデビュー、日本アカデミー賞候補に選出。秀逸な演技力で高い評価を受ける二宮くん。家族とどのような時間を過ごしてきたのでしょうか?
●名前の由来
画数にこだわっていくつも考えた名前を易学の知識がある叔父にみてもらい決めました。 穏やかで人の和を大切にする人になって欲しいという思いを込めました
他に「大(ヒロシ)」という候補もあったようです。
●繊細な少年時代
乳幼児期、風邪の熱で耳に膿がたまって鼓膜切開したり、熱痙攣で救急搬送されたりと、病弱だった二宮くん。そんな二宮くんにお母様は・・。
息子が2歳の時から働き始めたので、仕事終わりにはずっと一緒に居ました。 夏には必ず旅行に行きました。抱きしめたり、頬ずりしたり、スキンシップは常にやっていました。 親は彼方のことがとっても好きなのよっていうのを身体で表現していました
怖がりだったのでジェットコースターの列に並んでいると良くお腹が痛くなる子でした。 甘えん坊で寝るときは私の耳たぶをいじらないと寝付けませんでした。
お母様談。
溢れる愛情が伝わってきます。
低学年のとき、いじめられて、学校に行くのを嫌がって 集団登校などに遅れて行くことがありました。 お腹も良く痛くなって精神的に不安定でした。
高学年になってからは、 放課後は、校庭でボール遊びをすることが多かったですね。
確か5年生のときにクラスでいじめがありました。 担任の先生に聞いたのですが、 あなたはいじめに加担することなく いじめられている子に普通に接しているとのことでした。
いずれも2012/6/17 嵐のワクワク学校 ソモソモの授業で公開されたお母様からの手紙の一部です。
公演が2回あったため、手紙も2通書いたそうです。二宮くんの様子に常に目を配っていたお母様だからこそ、書ける内容です。
二宮和也とレンタルしてきたビデオをよく一緒に見て父は感動して泣いたりもしていた
単身赴任であまり家にいなかったとされるお父様との貴重なエピソード。
●ジャニーズ入所後
いとこが内緒で送った履歴書の審査が通り、お母様に「5000円あげるから」と言われ受けたオーディションで合格したことがきっかけでした。
コンサートが終わって家に帰ると自分のサインボールが家にあり、持って帰んなよと怒ったら「だれも取らなかったから、あなたもまだまだね」といわれた二宮和也。
核心をつく、厳しいけれど本人のためになる言葉です。家族だからこそ言える言葉では。
●家族との絆
家にもんじゃを食べに帰るとき、 いつも「ありがとう」と言って帰って行きますね。
お爺ちゃん、お婆ちゃん、ジュンちゃんをはじめ、 みんな、みんな、カズの活動を喜んでくれています。 その期待を裏切らないよう、 みんなに喜んでもらえる仕事を続けてください。
コンサートで元気をもらっている私は、ず~とあなたと嵐の大ファンです。
先述のお母様からの手紙の抜粋です。家族のみなさんで二宮くんをあたたかく見守っているのでしょう。
家族の深い愛情と、逆境を乗り越えてきた、その強さが現在の二宮くんの演技力の糧になっているのかもしれません。
●リンク
相葉 雅紀くん
「天才!志村どうぶつ園」等バラエティーだけでなく、「ようこそ、わが家へ」等ドラマでも活躍。癒し系の笑顔と人柄の良さで、一番親近感のある相葉くん。家族とのほんわかエピソードの数々を紹介。
●名前の由来
数ヶ月、色々な本を読んで画数は悩みました。 私が雅(みやび)という字が好きで雅紀とつけました。 気持ちにゆとりがあって優雅な心で生きるという人生を送って欲しいという願いを込めて雅紀とつけました。
「紀」の字には他にも「樹」「己」の候補があったそうです。
●人見知りで内気な少年時代
身体が弱く、お母様が病院の先生と友達になるほど点滴で病院に通ったそうです。そんな相葉くんに・・。
3歳くらいから水泳をやらされたんだよね
医師の助言もあり、お母様が通わせたようです。
悪いことをするとベランダから宙吊りにして起こる相葉ママ。
病弱な相葉くんをいたたまれないほど心配していたというお母様。たくましく育ってほしいという願いもあったのでしょう。
海、山、スキーなどに出かけました。 今、思えばあちらこちらに連れて出かけて良かったと思っています。
お母様談。
一緒にいちご狩りにいって、ちくびに苺をあて喜ぶ相葉兄弟
色々な場所に出かけていたようです。無邪気な相葉兄弟の様子が伝わってきます。
弟はずるがしこくて、よく喧嘩でも勝っていたそうです笑 喧嘩して、相葉ちゃんがトイレに逃げてでようとしたら弟が画鋲をまき散らしたことがあったそうです^^
それを間違えてお父さんが踏んでしまって相葉ちゃんが怒られたそうです笑
こちらも弟さん。何やかんや、仲の良いご兄弟だそうです。
●ジャニーズ入所後
SMAPに憧れ、本人が履歴書を送ったことがきっかけです。
昨年の嵐のハワイコンサートのときは、家族に旅費をハイって渡して、観に来てもらって
家族を大事に思っていることがわかります。ご実家にも相葉くんの大きな写真が飾られているようです。
嵐のコンサートにどうしても行きたかったようで、「ダフ屋で買っていく!!」と言いきっていたとか。
相葉ちゃんは必死に「それはダメだから!!」
弟さんのエピソード。「にいに」と呼ばれ、慕われているようです。
●家族との絆
家族でカラオケに行き必ず最後に替え歌(相葉勝つ)を歌う
相葉ちゃんも姪っ子甥っ子を溺愛しているようですが、愛が過剰すぎるのかあまりなつかれていないと嘆いています。笑
「え?普通、どの家族も、車にのったらしりとりをするんじゃないの?」
本人談。
関ジャニの横山裕くんが相葉家へ遊びに来た際、家族で車で駅まで迎えに来た時のエピソード。
皆で温泉に行った。弟の家族も連れて行った。
丁度、箱根駅伝とぶつかって大渋滞。箱根駅伝のほうが先に箱根に着いちゃった
「別にひとり暮らししたいって希望はなかった。仕事の都合がなければ家を出てなかったと思う」
コンサートのチケットや温泉旅行をプレゼントしたり、ご家族を大切に思う気持ちが伝わってきます。相葉くんの包み込むような優しさ、おおらかさはここから生まれたのでしょう。
●リンク
【画像あり】日常感溢れる相葉雅紀の家族とエピソードをご紹介!
天然キャラとしてお茶の間で親しまれている相葉雅紀さん。相葉雅紀の家族も素敵でおもしろかった?!相葉雅紀の家族構成や、家族仲良しエピソード、相葉雅紀の実家の場所まで、まとめてみました!相葉雅紀の実家の中華料理屋さんにはぜひ一度足を運んでみたいものです。