2015年08月04日更新
嵐メンバーとジャニー喜多川氏(ジャニーズ社長)のエピソードまとめ
ジャニーズ事務所の社長であるジャニー喜多川氏のおかげで嵐に出会えたといっても過言ではありませんよね♪そんな嵐とジャニー喜多川氏のおもしろエピソードをまとめてみました。
ジャニー喜多川氏ってどんな人?
本名 喜多川 擴(きたがわ ひろむ)
生年月日 1931年10月23日
出身地 アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス市生まれの日本人。
口癖が「YOU!」なので、外国人と勘違いしている方が多いみたいです。
ギネス世界記録に認定されたことも!
2011年 「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」、「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物」
2012年 「最も多くのチャート1位アーティストを生み出したプロデューサー」
3つもギネス認定されるなんて、さすがジャニー喜多川氏!
2012年のギネスブックでは、初めて自身の顔写真を公開しました。
大野 智
高島アナ「「おーちゃん」というあだ名は、どなたがつけたのですか?」大野「これは…あのー、ジャニーさんが…社長が。合宿所に、僕よくいたんですけど、その時に「おーちゃん、めし食っちゃいなよ」って突然言われて、「何言ってんだ?この人お」と思っていたら、それからずっと「おーちゃん」って」(2002年)
おーちゃんと呼ばれるきっかけになったのはジャニー喜多川氏だったんですね。
大野「(10年以上前大野がポケベルの時代)うちの社長はばりばり携帯でしたね。アンテナをね、僕の鼻の中にいれて遊ぶんですよ…ねえ、…俺、どうリアクションしていいかわかんなくてね、困った記憶があります。ええ……そういうことすんの本当にね?……やめて下さい。」(2007年)
大野「この前、舞台やってるんだけどジャニーさん……が観に来てて、そん時ニノも観に来てたんだけど、その後一緒に飯食って。いやあーほんっと、あの人と話してると面白いんですよ。なんかジャニーさんが「世界のジャニーだから」とか言い始めて。でもそれは前に聞いたことあったんですよ。そしたら今度は「宇宙のジャニーだから」とか言って。なーにをやってるんだこの人はって思いましたね。ニノと大爆笑でしたからね。」(2006年)
大野「社長さんとねJr.を5、6人連れてスーパーにね買い物に行ったんすね。「好きなもん買って良いよ」って言ったんですよ。僕は、シャンプーとリンスだけをね、もう数え切れないくらいくらい買ったんですよね。「誰だよこんなにシャンプー、リンス買ったのは」って言われてね、怒られたんですね。」(2003年)
大野「ジャニーさんね、普通、社長と思ったら敬語使いますよね。あ、おはようございます!とかね。そんでボクそん時Jr.でしたから、他のJr.とはね「おはよ」とか軽く言ってたらね、社長が「なんで僕だけ敬語なの?仲間はずれにしてるよね」て。そっからね、タメ口になりました。」(2002年)
大野「(社長が発熱)合宿所で。ほんでもう、体温計なくて「大野ちょっと体温計買って来てくれ」と。二万円渡されたの。でもおーこれって、残りのお金なんか使っていいんだろうなって。ほんでもう、ありとあらゆるお菓子だのをいっぱい買ったの。ほんでジャニーさんに体温計買って来たよって。「おつり置いといて」。1円も無いんですよ。」(2012)
大野くんらしいですね!
残念ながらこの後、ジャニー喜多川氏に「YOUおつりは?」とかなり怒られたとか・・・。
櫻井 翔
櫻井「デビューしたときの「嵐」っていう字は社長が何回も書き直してたんだけど、正直大野くんの方が上手いよね」(2002年)
相葉 「ジャケットの嵐の字をジャニーさんが書いたんですよね」二宮 「なんか、有名な人に頼めばよかったのにね」櫻井「本当に思うわ。なんで、身内で書いちゃったんだろうね」(2007年)
頑張って書いたのにケチをつけられるジャニー喜多川氏。
櫻井「打ち合わせでこの曲(ケツメイシ「新生活」)かけたら「旅立ちの空 さくら色」っていう歌詞なんんだけど、ちょうどうちの社長ジャニー氏がいて「うわーこの歌、サクライショウって言ってるよ」「櫻井の歌、櫻井やっちゃえばいいじゃん」……「いや、ジャにーさん、さくら色」 「サクライショウだよ」「さくら色!」「サクライショウだよ」「もういいや、やんない!」(笑)そんなことがありましたけれども」(2006)
櫻井「(君のために僕がいる)これサビで、「頑張るさ」「頑張るさ」って言ってんだけど、うちの社長ジャニー氏「これ、ジャンバルジャンって言ってるよ、ジャンバルジャン」「い、ジャニーさん 頑張るさだよ…」「ジャンバルジャンって言ってるよ…」「頑張るさだよ」っていう事もありました。もうホント生きる空耳アワーみたいな人ですからね」(2006年)
そろそろ耳が遠くなってきているのかもしれません。
相葉 雅紀
相葉「俺は入ったばっかで友達いなかったから1人で遊んでたよ、ずっと。あっ、ときにはジャニさんと。」櫻井「ジャニーさんと!?」相葉「うん。スターウォーズごっこ。TVのリモコンで。1人で遊んでたら一緒に遊んでくれた。」櫻井「まじ、いい人じゃん。」(2004年)
ジャニー喜多川氏と相葉くんのスターウォーズごっこ見てみたいですね。
相葉「いままで人からかけてもらった言葉で印象的だったのは、「過去は振り返るな」ってやつ。これ、ちょっと前にうちの社長に言われた言葉なんだけど(笑)。「未来しかないんだよ。50歳くらいになったら振り返ればいいんだ」って言われたの。なるほどって思った。」(2007年)
相葉「俺は一番最後だったんですよ嵐。 嵐になるよって聞いてなかったの、俺3日前ぐらいにさあ、社長に、Youパスポート持ってる?って言われて、あ、持ってるよ、って。 じゃあ、ハワイ行こうよ、って言われて。じゃあ、行こうよ、って。いいよ、ってなんか取材かなんかかなと思って行ったら、 嵐(としてデビュー)ですって言われたの。」(2009年)
もし相葉くんがパスポートを持っていなければ、いま嵐として活躍してなかったかもしれません。
松本 潤
松本「うちの社長は、幽体離脱した自分を見てた事があるとか言ってましたね。すごい疲れて寝てたら、いつのまにか自分の体が外にあって必死に起こそうとしたんだけど全然起きないんだよって、よくわかんないこと言ってましたね。」(2007年)
松本「ファーストコンサートはねえ、その当時ジャニーさんの家で、コンサートの打ち合わせをした、っていうのがすごい印象的ですねえ、僕は。 嵐五人とジャニーさんと、振付師が一緒になって、ああでもないこうでもない、ってやってた時の絵がちょっと思い出されますね。うん。」(2009年)
自宅で打ち合わせなんて凄いですね!
松本「昔一回何かやった事があって『ジャニーさん写真撮ろうよ!』って言ったら、もーのすごい勢いで嫌がって。部屋出てっちゃうぐらい、なのね? でーそのジャニーさんを無理矢理ー押さえつけてーフフッ、みんなで写真撮った事があったんだけど。」(2010年)
松本「(履歴書送ったらオーディションなしですぐ電話があり「今レッスンやってるから、 よかったらYou来ちゃいなよって」って言われた件について)昔だから(事務所に応募した時の写真が)ダサいんですよね。 こうやってる(柵に手をかけてる)写真でいいと思った、ウチの社長がすごいですよね。なにがいいと思ったのか僕にはわかんない」(2004年)
見る目がありますね!きっと履歴書から松本くんのオーラが伝わってきたのでしょう。
二宮 和也
二宮「朝起きて、今日ドームだなと思って、ふと思ったんですけど、ドームでコンサートするって、自分がすごい人に思えてきて 野球じゃなくてコンサートだぜ!?と意気揚々とこの東京ドームに来ました。そしたら社長が僕の顔を見るなり「ああ二宮だ」って言うから、なにかあるのか聞いたら「ボク、朝からずーっと嵐のこと考えてた、でも、どう考えても4人しか出てこない。相葉、櫻井、大野、マツジュン、……?」(って)…これからも頑張って行こうと思います。」(2007年)
うっかりしていたのでしょうか?
二宮「ジャニーさん(誕生日)10月23日だから。知ってた?電話かかってきたの、こないだ。去年かな?なんで電話くれないの?って。 誕生日なのにって。 祝うのすごい嫌いなのにさ。ものすごい怒られたの。 全然普通に俺にしたら平日にいきなり社長から怒られたの。 社長の誕生日に、ビックリした。」(2005年)
二宮「(デビューしたくないと思って)翔くんと二人でジャニーさんちに行って、 断りに行ったんですよ。16のときですね。 行ったら、たまたまいなかったんですよ。 メモでも残しとくか、ちょっと話したいことがあるんでって。 メモをポンと置いた隣のところに ”今度デビューするグループの名前は嵐っていうのはどうでしょう?” (っていう)メモがあったんですよ。それを二人で見て、大爆笑して、嵐はねえなあ!とか言って。」(2007年)
二宮「俺、昔言われた事ある、ジャニーさんに。「嵐はタイですごい人気なんだよお」」「日本じゃないの!?」(2005年)
今では国民的アイドル。嵐を知らない人の方が珍しいです。
二宮「社長が「人気がないと(ウチワは)作れません。みたいなこといわれてさ、俺なかったのよ。で、坊主にしたのかな?そしたら「YOUおもしろいから記念に撮っときなよ」って言ってできたのがコレ(「天城越え」に二宮が出演したときの坊主ウチワ)なの。」(2005年)
二宮「(社長に)「飯奢ってよ!飯奢ってよ!飯奢ってよ!」って何度も言ったら「…うるさいよ。」って普通に言われました」(2005年)
ここでもドケチが!ですが、ジャニー喜多川氏には通用しなかったみたいです。
二宮「三年くらい前ジャニーさんがずっと俺の方を見ながら”相葉””相葉”って呼んでて、俺相葉じゃないからずーっと返事しなかったのね。そしたら「相葉、無視すんな!」って怒られちゃって「俺、二宮です」って言ったら「そうか、二宮か……」って。あれから三年もう覚えてくれたよね?(笑)」(2004年)
デビューまで
櫻井「(最初は)僕とニノ、マツジュンの3人だったの。メインボーカルとして、ま、歌がもちろん上手い大野くんが入り、もともとずっとジュニアの時に、ニノ、松本、相葉の3人でよく活動してたんですよね。そしたら、社長が、なんで相葉いないの?かわいそうじゃん!ってことになって。イヤイヤイヤイヤ、俺ら選んでないからって、あなたが選んだんでしょ、って。で、相葉くんも来て、合流してハワイでデビュー会見ということになって」(2011年)
大野「僕はダンスリーダー。 社長が「Youダンスリーダーでいいよ(って)」。二宮は芝居リーダー、櫻井は勉強リーダー。そういう感じでデビュー会見でそれを言え!って。リーダーは嵐にいないんだ!って」(2009年)
二宮「(デビュー)会見やりましたねえ、そういえばね。覚えてますよ。 何か、前の日にー社長とー何か、わら半紙みたいの、社長からわら半紙みたいの1枚貰ってーそこに質問内容と、答え、書いてあって「YOU達、しゃべれないからこの答えだけ覚えといて」って言われてー何か一晩中それの練習でしたねえ。「遅い」とか「早い」とか(可愛いと相槌を打たれ)ホントだよねえ!もうホントいよいよ何やってんだろうなあ?ってずっと思ってましたよ。」(2008年)
大野「(男性の支持を得られるような個性的な5人を嵐のメンバーに選んだ)社長がすごいんだよ(笑)」(2010年)
女性だけではなく、男性のファンも増え続けている嵐。
大野くんの言う通り、5人を選んだジャニー喜多川氏はすごいですよね。
少しうっかりはしていますが・・・。
これからも嵐とのおもしろいエピソードを増やしていって欲しいものです!